アレヤコレヤの散文 あたまのなかの引き出し ソレトこれがつながる

キャガプシー 2018 ウナサレてもウナサレても

登場時のコワレッぷり

 

時間をしっかりかけて、高橋倫平さんの身体能力を生かして、ビックリ強い印象を与える登場シーン。縦横無尽 満載でどんだけ壊れているのか言わずもがな伝わりました。

 

走り抜けるとその後に残り香のように、色が落ちていく感じがしました。両頬にも、ネイルにも元気で明るいパステルカラーが散りばめられていて。

日が暮れだすと今度は、袂にある花柄ピンクの部分と首巻いた小さな布の切れ端のネックレスのピンクの部分が暗闇に光るの。キラキラ光るの。

 

 

ウナサレの初お目見え場面、

トラワレに車椅子(ベビーカー)でカメラの前に連れてこられて、ネズミに覆いのシートを剥がされた時のポーズが、

両手をギュッと組んで、頭を垂れて、

キリスト教のお祈りしているみたい。

トラワレとウナサレの壊し合いの後での、罰を求めるときのネズミの態度と対を為すこのポーズ。

ネズミはトラワレの前で頭を垂れ、両腕を広げてひざまずく。

 

再演キャガプシーは西洋風と日本風がいい塩梅でミックスされているなと思うのです。

  

「人が罪をおかすのは穢れのせい。

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穢れで作った人形が壊し合いで壊れてはじめて穢れが浄化される。」

原罪とか、赦しとか。考え方が西洋のキリスト教風。兄弟殺しはカインとアベル

じゃあ、この物語世界でいったい誰がその罪とか、赦しとか浄化とか定めてんの?ってなると、一神教っぽくも感じないし、多数の神様って感じもなくて、大体、この描かれている世界に 神。は感じない。

(末原戯曲には、よく「かみさま」という言葉が出ます。それぞれの世界に存在しているようです…『狼少年二星屑ヲ』に出てくる神頼みをする相手のかみさま達は最高で最強です)

 

この物語をみていて感じる、定めているのは「人間」

人間がそう思って、考えて、決めて、続けている。

キャガプシーの事はいっさい鑑みないで。

 

キャガプシーショーみていて辛いのは、

闘犬、闘牛、闘魚、もっと有るよね世界中みれば。

なんで、動物が好き好んでそんな事するかって。飼い主次第、育て方次第だよ。闘いに向いている用に作り出した種類だって、それように育てなければ、好きでは闘わないでしょ。

 

ウナサレはネズミとシェアする悪夢の中で、ネズミが望む自分の行く末をきっと知りつつも尚、

トラワレにキャガプシーの僕らだって、幸せになれる、なれたい、なれると信じたい。キャガプシーだって変われると信じたい。と伝え、本気で信じている。

そうだよね 根拠があるもの。

ウナサレの一部分のネズミは、キャガプシーだって変われる!の実例まんまだもの。

行きたいところに行って、すべてがうまく行く訳じゃなくても、時間をかけてなれたい未来のために行動して信じているもの、自分のする事の意味と目的を。

 

 

ネズミにも、ツミにも何でこんなことするの?って無邪気に聞く調整中のウナサレだけど、あれは問うているんだよね、小さな目の前の目的ではなくその後ろの大きな目的は何の為なのかって。

さやかなれども結構なパンチ喰らうよ、イヤだと思いつつも余り深く向き合わないで物事進めていたり。あの人が五月蝿いから仕方ないけどやるとか。下心あったり。上手く人を使ってみたり。日常にたくさんある

  

何だか、私がウナサレの事考えると暗くなってしまいますが、そんな中でも、今回のウナサレ弟とトラワレお兄のチグハグデュエット♪愛らしかったなぁ!戸惑いを全然隠せないお兄の真顔とニシシ笑いのウナサレ弟。

最初に目を開いて、パニックに陥った自分を命令によってかもだけど、強く抱きしめてくれてこの世界のまんざらでもないらしい美しさを語ってくれた人、トラワレ。

その美しい人が言う、

「無理にでも笑え」と

 

 

人魚の初恋の話みたいだな~って書いていて思って、「人魚姫」調べて久し振りに読んだら…

(ザックリあらすじ→

https://arasujikun.com/archives/372 )

ええー、ツミとある部分が同じにビックリ!子供時分はとらえ違いする王子の視点なんて気にしてないから

 

やっぱり、ウナサレの事を直視して書くのはつらいから勇気がいる。みんなに色んな気持ちや想いを気付かせて、塵のように去ってゆく。キンキラキンのラブの人。

私にはなかなか出来ないこと。

きっとウナサレはリモートで行くのを阻んだツミのことも、声を奪ったネズミのことも、裏切られたと思い込み自分を信じてくれなかったトラワレのこともゆるす。 

またしても、私には出来ないこと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ちょっとだけ許されるのなら、ifの話を

初演の初日にキャガプシーショーの最大のハイライトシーンみてて、バタバタしているウナサレに肩を貸して、大きく開け放った外の世界に歩みゆく2人を涙の向こうに見つめて、ウナサレが崩れ落ちちゃうんだけども、そうなんだけども、トラワレが力強く歩んで行くんだけども、ウナサレは何とか声は出ないかもしれないし歩くことも出来ないかもしれないけれど、ちょっと手直ししたらいけるんじゃないかって。

だって、あの子は初めから壊れていたんだもの。

明らかに、今までツミが創り出してきたキャガプシーとは違うんだもの。

 

でも、やっぱりそうじゃないのかーなんて終幕後の他者の感想や考察読んで、やはりそうだよねぇ。無理だよねぇ。ってなって。

 

再演キャガプシー観たらやはり希望が沸きました。

台車だか猫車だかにトラワレ乗せて、キャガプシーシアターの周りの朽ちてるキャガプシーもみんな一緒に乗っけて、トラワレ元の持ち主一件一件、穢れを返しに行くんじゃないかな。ウナサレと一緒に笑い合いながら。

ノンバーバルでもあの2人ならいけるでしょう意志の疎通。だって、

 

「皆までいうな、沈黙こそが      雄弁だ」